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2008年04月08日

パクス・ローマーナ、混乱と分裂、キリスト教

本当に不可解な点が多すぎる。
ますますなぞは深まるばかりですね。

いわゆる「元首政」の欠点は、元首を選出するための明確な基準が存在しない事である。そのため、反乱の増加に伴って、軍隊が強権を持ち皇帝の進退を左右した。約50年間に26人の皇帝が入れ替わるようになり、これを「軍人皇帝」と呼んでいる。

パクス・ローマーナ(ローマの平和)により、戦争奴隷の供給が減少して労働力が不足し始め、代わりにコロヌス(土地の移動の自由のない農民。家族を持つことができる。貢納義務を負う)が急激に増加した。この労働力を使った小作制のコロナートゥスが発展し始めると、人々の移動が減り、商業が衰退し、地方ごとの自立が促進された。

284年に最後の軍人皇帝となったディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は混乱を収拾すべく、帝権を強化した。元首、つまり終身大統領のような存在であった皇帝を、オリエントのような専制君主にしたのである。これ以降の帝政を、それまでのプリンキパトゥス(元首政)に対して「ドミナートゥス(専制君主制)」と呼ぶ。またテトラルキア(四分割統治)を導入した。四分割統治は、二人の正帝(アウグストゥス)と副帝(カエサル)によって行われ、ディオクレティアヌス自身は東の正帝に就いた。強大な複数の外敵に面した結果、皇帝以外の将軍の指揮する大きな軍団が必要とされたが、そうした軍団はしばしば皇帝に反乱を起こした。テトラルキアは皇帝の数を増やすことでこの問題を解決し、帝国は一時安定を取り戻したが、ディオクレティアヌスのもうひとつの策であったキリスト教迫害は失敗し、彼の死後、帝国は再び混乱した。

ディオクレティアヌス後の混乱を収拾して再び単独の皇帝となったコンスタンティヌス1世(大帝。在位:副帝306年-、正帝324年-337年)は、キリスト教の勢力と妥協し、313年ミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。後のテオドシウス1世(在位:379年-395年)のときには国教に定められた(380年)。

コンスタンティヌス1世は専制君主制の確立につとめる一方、東のサーサーン朝ペルシアの攻撃に備えるため、330年に交易ルートの要衝ビュザンティオン(ビザンティウム。現在のトルコ領イスタンブル)に遷都し、コンスタンティノポリスと改称して国の立て直しを図った。しかしコンスタンティヌスの死後、北方のゲルマン人の侵入は激化し、帝国の解体は止まらなかった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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